2022年5月号|新宿区の助成金申請代行・就業規則作成なら、社会保険労務士法人渡邊人事労務パートナーズにお任せください。

社会保険労務士法人 渡邊人事労務パートナーズ 代表社会保険労務士 渡邊武夫
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2022年5月号

労働保険の年度更新の時期がきました(6月1日〜7月11日)

◆そもそも労働保険とは
労働保険とは労災保険と雇用保険を総称したものであり、保険料は1年に1回、この時期に申告納付(年度更新)することになっております。会社にとってかなりの保険料負担となるため、経営上間違いなく行う必要があります。手続きが遅れると追徴金(納付すべき保険料・拠出金の10%)を課されることもあるのでご注意下さい。

労働保険=労災保険+雇用保険

◆年度更新とは
労働保険料の納付では、当年度に賃金額を概算申告・納付し、賃金額の確定した翌年度に確定精算を行うことになります。この申告を「年度更新」と称しております。

年度更新で申告・納付する保険料=前年度確定保険料(追徴又は還付精算)+当年度概算保険料


◆労働保険料は年間賃金総額で決定
労働保険料は、労働者に支払われた年間賃金総額に保険料率(労災保険料率および雇用保険料率)を掛けた金額となっております。 
例えば、令和3年度の一般の事業(農林・建設除き)で年間支払い賃金総額が1千万円であれば、労働保険料は約12万円、2千万円であれば約24万円、3千万円であれば約36万円のように倍々計算となります。そして、この金額に前年度の過不足金額を計算したものが当年度の年度更新保険料となります。

なお、雇用保険料は従業員も毎月の給与から一部天引きされており、保険料全額を会社が負担するものではありません(前出例で従業員負担は、1千万円で約3万円、2千万円であれば約6万円、3千万円であれば約9万円が従業員負担です)

◆令和4年度は年度途中で雇用保険料率が改定されます  
令和4年度の雇用保険料率は、年度前半(4月〜9月)と年度後半(10月〜3月)の2段階で順次引き上げられます。 このため、概算保険料の計算も二つの期間に分けて計算することになりますので、これまでの申告書フォームが改定となります。

◆お困りの時は当事務所へお尋ねください
年度更新の申告書類はなかなか複雑であり慣れていない事業主様は困惑されるのではないかと思われます。お困りの時には何時でも当事務所へお尋ね下さい。

社会保険の算定基礎届も提出時期です(7月1日〜7月11日)

◆そもそも社会保険とは
社会保険とは健康保険と厚生年金保険を総称したものであり、保険料算定の基礎となる標準報酬は1年に1回この時期に見直しを行います(定時決定と称します)。

社会保険=健康保険+厚生年金保険

1年に1回この見直しを行うための基礎資料を、会社が年金事務所や健保組合に届出することを算定基礎届と言います。
 
◆標準報酬月額の改定方法(定時決定)
7月1日に会社に在籍している社員の4月・5月・6月の報酬月額の平均をとり標準報酬月額を決定します(例外規定もありますが省略します)。定時決定された標準報酬月額は、原則その年の9月から翌年8月までの標準報酬月額として保険料算出基礎となります。

◆昇給時は社会保険料負担の配慮も必要
一生懸命働いてくれる従業員に対しては何とか昇給してあげたいというのは経営者のいつも変わらぬ思いですが、従業員の昇給は社会保険料の増加にもなります。賃金昇給をご検討の時には社会保険料負担増加も計算に含めることをお勧めします。

事務所から一言

今年のGW期間に恒例の四国遍路に出かけました。事務所不在期間はご迷惑をお掛けいたしました。今回11回目の巡拝ですが10日間の自動車走行距離1,452KM、総歩数100,169歩でした。1日当たり歩いた1万歩余りには山のお寺の果てしなく長い階段の上り下りや険しい山道もあり、よく足がもったと思います。

今回の事務所から一言では四国遍路発祥の人物といわれる衛門三郎縁起を取り上げました。平安時代、豪農である衛門三郎の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ托鉢を行うと、三郎は怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし鉢は8つに割れてしまいました。実はこの僧が弘法大師(空海)でした。三郎の8人の子はその時から毎年1人ずつ亡くなり、8年目には皆亡くなってしまいました。三郎の枕元に大師が現れ、三郎は僧が弘法大師であったことにやっと気が付きました。

三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い家人たちに分け与え、妻とも別れ、弘法大師を追い求めて四国巡礼の旅に出ますが、二十回巡礼を重ねるも出会えません。弘法大師に何としても巡り合う切望から、今度は逆に回ると(これを逆打遍路といいます)、死の直前にようやく第12番札所焼山寺で弘法大師に巡り会えました。弘法大師に許され、次の生まれ変わりを尋ねられ、河野家に生まれて人の役に立ちたいと言って息を引き取ります。

翌年、伊予国の領主河野息利に長男の息方が生まれるも、その子は左手を固く握って開こうとしません。このため安養寺の僧の祈願によりやっと手を開いたところ、「衛門三郎」と書いた石がありました。その石は安養寺に納められ、寺は後に第51番札所石手寺と寺号を変えました(余談ですが、石手寺は漱石「坊ちゃん」で有名な道後温泉にあり、信仰・観光・健康の賑わいです)。

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